ミトコンドリアのちから (新潮文庫)

本書は、２０００年に出版された『ミトコンドリアといきる』を、２００７年に最新の知見を加えて再構成したものだ。タイトルからは、中高生向け生化学読本のように見受けられるけれど、ミトコンドリアの構造とメカニズムから、科学者列伝、老化、ミトコンドリア病、人類の起源、生命進化までを敷衍するなかなかハードな内容になっている。ミトコンドリアは、酸素を利用してエネルギーを生産する工場、つまり細胞内のエネルギープラントである。脂質、糖質、タンパク質の代謝中間体が、ミトコンドリアのさらなる代謝によって、酸素と反応しエネルギー源となるのだ。多少ややこしいが、このエネルギー代謝のメカニズムを理解すると、本書が読みやすくなる。例えば、メタボリックシンドロームを、ミトコンドリアのエネルギー代謝の観点から見るとどうなるか。メタボの解消には、無酸素運動と有酸素運動の組み合わせが重要だといわれるけれど、これには細胞レベルで科学的な根拠があることがわかる。酸素は生物にとって危険な存在だったと著者らは説く。エネルギーをつくりつづけると、タンパク質や脂質を酸化させてしまう活性酸素に変化するからだ。活性酸素を無毒化する酵素をもっている生物だけが、大気と触れる場所に棲める。しかし、活性酸素はなくせば良いというわけでないようだ。酸化力の強い刺激で細胞を元気にしたり、がんにならないようにしているからだ。活性酸素を生物にとって不要な存在と決めつけていたが、必要悪ということになるのだろう。本書を読むと、ミトコンドリアが生体内の様々な機能と協調し、絶妙なバランスを取りなが活動していることがわかる。ミトコンドリアは、太古の細胞内に入り込んで共生した別の生物のようだ。ミトコンドリアはＤＮＡを持っているが、多くを細胞核のＤＮＡに預けている。エラーによるミトコンドリアの変異を防ぐ、ぎりぎりの選択ということになるのだろう。生き残るための戦略なのだ。ミトコンドリアは母系遺伝だ。精子の鞭毛の運動が活性酸素を発生させてしまうから、損傷を受けた精子のミトコンドリアを除去するメカニズムが働くという。ミトコンドリアが、このような複雑で精密な挙動をするがゆえに、遺伝子病であるミトコンドリア病の治療は困難をきわめるのだそうだ。本書は驚異の世界の扉を開いてくれるが、同時に、科学者たちのたゆまぬ努力に頭が下がる思いをする。本書がさらに改訂されたとき、そこにはどんな真実が明らかになっているだろう。